闘病生活とはつらいもの、でも、ひたすら支える時にも幸せがあった…

闘病生活とは 闘病

がんを告知されてから1年。
今まで、私たちはさまざまな困難を乗り越えてきました。
がんを通じていろいろな方と知り合い、助けられました。

714Xのおかげで、無事に年を越すことができました。
本来なら手術もできず、1年もたない命でした。
与えられた時間を大切にして、夫と一緒に生きていきたいと思いました。

私たちは714Xの情報を知ることができてラッキーでした。
情報を手に入れることができない方も大勢いらっしゃいます。
もしよければ、あなたもガストン・ネサーンの本を読んでみてください。
情報を知るのと知らないのとでは、人生が大きく変わっていきます。


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闘病生活とは・・・

闘病生活とはつらいものです。
でも、病気の夫をひたすら支える時にも幸せがありました。

闘病生活が1年過ぎ、体力は落ちてきましたが、まだご飯が楽しく食べられて幸せでした。
夫と過ごした時間は忘れません。

12月5日の日記から

パパは私のために、いろいろなことをしてくれる。
いつも、年末の大掃除をしてくれる。
今年はペタンコになったカーペットを、アイロンの蒸気でふっくらしてくれた。
6畳のカーペットを全部。
疲れたと言っていた。
そのあと、時計をグッデイに買いに行ってくれた。
時刻も合わせてくれた。
ありがとう。

わからない先のことは考えないでいる。
怖すぎる未来を予想して、今から苦しむのはバカげているから。

「今を懸命に生きる」

萩原先生からいただいた言葉。
この状況のなかで、パパの思いやりを受ける。
私もパパのために全力を尽くす。

私には残されたパパの時間を最大限に幸せなものにする義務がある。
愚痴を言ったり、泣いたりしている暇はない。
すべて、パパが幸せに感じてくれる時間にする。

来月は由布岳を見て、温泉に入る。
パパが喜ぶように。

12月15日の日記から

久しぶりに714Xを注文した。
萩原先生に血液検査の結果を見てもらった。
黄疸もないし、落ち着いているから、心身のバランスをとって日々過ごしてください、と返事が来た。
よかった。
パパに良い報告ができる。

体温調節がうまくできなくなっている。
寒がるし、温めすぎると熱が出る。
夏が怖かったけど、寒い冬はがん患者にはつらい季節なのかも。
これから本格的に寒くなるから、暖房に気をくばろう。

12月24日の日記から

胆管がんで2015年に亡くなられた川島なお美さんのご主人が、先日飼い犬のココナツが亡くなり、とうとうひとりぼっちになったとテレビでおっしゃっていた。

以前、夫婦でテレビ出演をしたときに踊ったダンスを、練習で踊って見せてくれる川島なお美さんの動画を見て、鎧塚さんが絞り出すように、「かわいかったなぁ・・・」と言っていた。
違う番組では、「あなたがあんまり呼ぶから。」と、川島なお美さんが蝶になって帰ってきてくれたと言っていた。

つれあいを亡くすというのは、辛いものですね。
彼女は亡くなる2週間前まで、ドレスアップしてテレビに出ていた。
あまりの痩せ方におかしいと、みんな思っていた。
黒髪の、ロングヘアのまま。

鎧塚さんは超一流のパティシエだから、仕事一筋で忙しく、頑張っておられるに違いない。
がんばれ。

12月25日の日記から

クリスマスイブは十徳屋でお寿司とてんぷらを食べた。
二人で、お茶で乾杯。
パパが笑った。

以前なら物足りない量のお膳だけど、ちょうどよかった。
パパは体重が60キロを切ったことを気にしている。
体重にはこだわらなくていいよと言ったら、そうやねと言った。
最近は、8分目くらいしか食べられなくなっている。
8分目の食事しかいらない身体になってきているってこと。

一生懸命におやつを食べている。
ご飯が食べられない分をおやつでカバーしているつもり。
食べたい分だけ食べたらいいよ。
無理して食べるのはつらいから。
おいしいと思った分だけでいい。
たとえ8割でも食べてくれているから。
毎日を少しでも楽しく暮らしていこう。

714Xがなかったら、今頃私は一人のはず。
パパはひどい痛みで悩まされることもなく、静かに暮らせている。

28日で、がんがわかってちょうど1年が経つ。
1年、なんとか二人でやってこられた。
これからも、今まで以上に二人で濃い時間を過ごす。
パパの体力を見ながら、パパが幸せになるようにする。

12月28日の日記から

ちょうど、一年が経った。
去年の今頃は大掃除を頑張ろうと思っていた。
そして、夕方にはがんを宣告された。
そんなバカなと、心も体も震えた。
翌日、パパにもがんが知らされた。

去年入院したとき、年末だったから病院が休みに入り、ステントの手術がやってもらえなかった。
年が明けて、子供たちが次々と顔を見せてくれて、みんなで悲しんだ。

病室に孫ちゃんの元気な声が聞こえてきたとき、パパが泣いた。
私はステント手術のパパを待ちながら、泣いた。
そして、次男がイーハトーヴクリニックの情報をくれた。

夏には宮古島で最高のときを二人で過ごせた。
美しい海と、サンゴと、ファインディングニモ(カクレクマノミ)と、珍しい魚たち。
二人で手をつないで泳いだ。
パパががんになったからもらった幸せ。
健康のとき、当たり前だと思っていた幸せが、当たり前じゃないと気がついた。

 

714Xのおかげで、普通に暮らせている。
内臓が弱っているからしんどそうだけど、がんの痛みもなく、笑って暮らせている。
今日は窓ガラスの掃除を全部やってくれた。
714Xがなかったら、きっと今頃、私はひとりぼっちになっていた。

なにかの占いで、パパは晩年に、私にすごく助けられると出たことがある。
そうよ、絶対に私が助ける。
最近、パパはよく物忘れをするけれど、いいよ。
私がカバーするから。

来年も12月28日が迎えられますように。
そうだ、体重が60キロを超えたとパパが嬉しそうだった。
最近、日に焼けて色黒だったパパが、何となく色黒でなくなってきた。
顔色が白っぽい。
心配は尽きないけれど、もらった命を大事に生きる。

12月30日の日記から

とうとう、年の暮れ。
一昨日くらいから、私の胃が痛い。
初めは軽い違和感があった。
今は、ちょっと痛い。

看病する身が病気になったら始まらない。
年末は病院が休み。
去年も、パパの診療をしてもらえなくて大変だった。
私は軽い胃炎になっているみたい。
絶食してみようか。
年が明けたら、胃腸科クリニックへ行ってみようか。

12月31日の日記から

大晦日。
無事に迎えられた。
胃薬と頭痛薬で締めくくる年末だ。
軽い頭痛でも、不快感はつらいね。

パパはがんでどんなにつらいだろう。
胆石のときだって、便秘のときだって、泣き言ひとつ言わずにガマンしていた。
叫びたいほどの痛みらしい。
これからは、痛みを取り除くのを肝に銘じていこう。
714Xがなかったら、今年は喪中はがきを出していたはず。

人類は生と死を繰り返してきたんだね。
実の親が亡くなっても、普通に暮らせてきた。
寂しかったけれど、あきらめもあった。
でも、パパのいない人生は寂しすぎる。
夫婦で片割れを亡くす人はいっぱいいるけれど、みんな耐えて、我慢して生きているんだね。

まとめ

ご飯が普通に食べられるって、幸せなことなんですね。
病気で食欲が落ちていましたが、一生懸命に食べようと、夫は頑張りました。
ガンの告知からちょうど一年が経ち、痛みもなく、普通に生活できていたのは奇跡としか言いようがありません。

知人の胆管がん患者さんは、一年待たずに亡くなられたと聞きました。
一年経っても、普通に暮らしていけた私たちはラッキーでした。

 

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