九州新幹線が開通し、一度乗ってみたくて鹿児島旅行をしました。
45年くらい前、鹿児島へは車で行ったことがあります。
行きは6時間で、まあまあスイスイと走りましたが、帰りは12時間以上かかってたいへんでした。
今でも、親戚が車で鹿児島から帰ってきたときに渋滞にはまり、法事に遅刻したことがあります。
しかし、新幹線のおかげで、鹿児島までたったの1時間45分で行くことができます。
すばらしいですね。
「さくら」に乗って、旅行気分に浮かれていましたが、帰る直前に知覧特攻平和会館により、ちょっと沈んで帰ってきました。
戦争はいけないと、強く思える旅になりました。
知覧特攻平和会館の感想
桜島から指宿、開聞岳、吹上浜、知覧への旅でした。
鹿児島の有名な観光地を回って、温泉も堪能しました。
鹿児島と言えば、指宿の砂蒸し温泉でしょう。
2回も入って楽しかったです。
長崎鼻へ行き、開聞岳も見ました。
形は富士山と同じ円錐形で、カッコいい山です。
そして、知覧特攻平和会館へ行って、開聞岳がどんな山なのかを改めて知りました。
知覧から飛び立った零戦は、開聞岳を最後に見て沖縄方面へと飛んで行ったんですね。
死にゆく人々が最後に眺めた山だったんです。
大きな山なので、空からよく見えたでしょう。
知覧特攻平和会館には戦争の爪痕が残されています。
今は平和な時代が長く続き、かなり平和ボケしていますが、私たちが生まれる前に、大きな犠牲になって亡くなられた方々がおられました。
どうして戦争になってしまったのか、事情は複雑で残念なことも多々あるでしょう。
しかし、犠牲になったのは普通の人々でした。
沖縄戦や東京大空襲、原爆投下と、ひどいことばかりです。
二度と戦争をしてはいけないといわれています。
知覧特攻平和会館で資料を拝見していると、本当にそう思います。
20歳前後で、特攻隊員として出撃しなければならなかった若い人たちの無念を思うと、かわいそうで涙が出てきます。
世界では争いがまだ行われています。
平和な国に生まれた幸せをありがたく思い、戦争がない世界を望みます。
亡くなった母が「戦争はいやばい。」と言ったことあります。
青春を戦争の時代に過ごした人ですから。
知覧特攻平和会館は、第二次世界大戦の沖縄戦で、人類史上類のない爆装した飛行機もろとも敵艦に体当たりした陸軍特別攻撃隊員の遺影・遺品・記録等貴重な資料を収集・保存・展示して、当時の真情を後世に正しく伝え、世界恒久の平和に寄与するものです。
元々は福岡の太刀洗陸軍飛行学校の分教所で、少年飛行兵、学徒出陣の特別操縦見習い士官らが操縦訓練を重ねていたところだそうです。
知覧特攻平和会館に残っている手紙
〒897-0302 鹿児島県南九州市知覧町郡17881
TEL:0993-83-2525
沖縄戦で特攻戦死された方は1,036名です。
今の平和は、この方々の犠牲の上に成り立っていると思います。
知覧特攻平和会館では、遺書や手紙が読み切れないほど展示してあります。
平和のありがたさが身に沁みました。
あまりに膨大な量で、時間が限れられていることもあり、すべてに目を通すことができませんでした。
ひとつひとつに、心に響く言葉が載っていて、最後まで読めません。
メガネを外して、涙を拭いているおじさんがいました。
涙なしでは読めないんです。
メモを取りながら、熱心に見ている修学旅行生らしい学生さんもいました。
家族にあてた手紙が大半ですが、中には婚約者の方への手紙もあったと記憶しています。
言葉では言い表せないものが、手紙から伝わってくるようです。
「戦争を知らない子どもたち」であった私たちの子どもや孫は、さらに戦争を知りません。ずっと、平和な時代が続きますように。
知覧特攻平和会館の手紙を読んで、平和な世の中を当たり前と思わず、精一杯生きなければいけないと感じました。
三角兵舎
出撃前に、特攻隊員さんたちは、三角兵舎と呼ばれた宿舎で数日間を過ごされたそうです。
歌を歌ったり、お酒を飲んだり。
そこで、みんなで遺書を書いたりしたそうです。
父へ、母へ、兄へ、子供へ、恋人へ書いた手紙。
今から死ななければならない人の、慟哭が聞こえてくるような手紙や遺書ばかりでした。
戦争の犠牲者の方々の遺書を見て沈痛な気分になり、平和は大事だと心から思いました。
知覧特攻平和会館の零戦
東京の靖国神社に行ったときに、初めて零戦を見ました。
その衝撃は大きかったです。
私たちが子供の頃は、テレビのマンガ番組で「零戦黒雲隊」とかやっていたと記憶しています。
零戦の乗組員が主人公のマンガです。
カッコいい主人公が乗る零戦はスゴイ戦闘機なんだと心に残っていました。
だから、靖国神社で本物を見た時は、こんなに小さいんだと驚きました。
こんな小さな戦闘機に乗り込んで出撃していたのかと思うとかわいそうでたまりませんでした。
私たちが乗る飛行機は、プロペラ機だってそこそこ大きいんです。
知覧特攻平和会館にも零戦が展示してありました。
外にはきれいに整備された零戦、室内には爆撃を受けて、海から引き揚げられた零戦が展示してあったと記憶しています。
なんだか、つらい展示物です。
まとめ
浮かれた気分で新幹線に乗り、鹿児島を楽しみました。
最後に訪れた知覧で衝撃的な遺書や手紙を見て、浮かれていた旅行気分は沈みましたが、平和は大事だと、心から思えてよかったです。
知覧特攻平和会館で展示された遺書や手紙を読めば、誰でも平和のありがたさと戦争の愚かさがわかると思います。