「今を懸命に生きる」
萩原先生にいただいた言葉です。
今でも、この言葉を思うと涙が出ます。
これから、私も一人で、懸命に生きていかねばなりません。
ステント交換の時期は?
ステント交換の時期は決まっていました。
夫の場合、4ヵ月ごとにステント交換手術を受けました。
4ヵ月すると、必ず熱が出て、胆管炎になるからです。
主治医の都合(学会出席)で胆管炎のステント交換手術を女医さんにお願いすることになりました。
とても不安でしたが、女医さんは完璧でした。
女性が手術?と、不安がったことも彼女に見抜かれていました。
「ちゃんとやりますから、大丈夫です。」と言われましたが、私の不安は残っていました。
夫が亡くなるまで、何度かステント交換手術を受けましたが、この時の処置が一番よかったようです。
「そんなに痛くなかった。」と主人が嬉しそうに言ったからです。
適切な麻酔が使われていたのでしょうね。
手術のたびに、どれだけ苦しかったかをよく語っていましたから。
当然ですが、次からは女医さんを希望しました。
9月8日の日記から
長崎旅行はゆったりした旅行だったけど、それでも疲れが残っているらしい。
長崎の夜景と朝焼け
明後日には、孫の敬老会出席で大阪へ行かなければならない。
あと2日で、体力が回復してくれるといいけれど。
新幹線で行き、ホテルに着いたら、ずっと休んでいてもらおう。
体力がない。
無理しないで、パパの体力に合わせて生活していこう。
来月は宮古島旅行。
飛行時間が長いのが心配だけど、着いたらゆっくりするだけの旅行にしよう。
9月17日の日記から
昨日、日赤病院へ検査に行ってきた。
卵のサンドウィッチを作って、待ち時間にコンビニのおいしいコーヒーを飲みながら朝食をとる。
ピクニックみたい。
検査結果は、そんなに悪くはなっていないけれど、じわっと数値が増えていっている。
肝機能の数値はステントのせいで高いけれど、前月よりまた少し高くなっている。
腫瘍マーカーは範囲内だけど、少し上がっている。
涼しくなったから、岩盤浴をやってがん細胞をやっつけよう。
もし、腫瘍マーカーの数値が下がったら、岩盤浴が効いているからかも。
パパと二人で明るく生きていこう。
来月は楽しみにしている宮古島の旅行。
パパの運転で宮古島の橋めぐりをする。
田舎道だから、運転も大丈夫だと思う。
私が無免許だから、パパに運転してもらわないといけない。
だから、これからの遠出は公共機関を使う。
特急列車で行く旅もいいよ。
9月30日の日記から
昨日、胆管炎になって熱が出た。
主治医が学会で不在なので、女医さんに手術(ステント交換)をしてもらった。
朝10時に日赤に行って、手術が1時半から。
2時半くらいには終わって病室へ帰ってきたけど、鎮静剤のためパパはずっと寝ていた。
たまに目を開けるけど、朦朧としているよう。
女医さんがステント交換をやると、処置の痛みが少しはましだったらしい。
痛いから、鎮静剤をたっぷり使ってくれたのかも。
女医さんは処置がやさしくていいわぁ。
「ちゃんとやりますから、大丈夫です。」と女医さんに言われた。
たぶん、女の先生ということで不安がっている私の心を読んだのに違いない。
男の世界に入って、女性が頑張っている。スゴイ!
女性の外科医だからね。
6時間病院にいて、疲れた。
卵かけご飯を食べて、少し休もう。
10月5日の日記から
明日はいよいよ、宮古島旅行。
遠出の旅行は最後かも。
ステントを取り換えたばかりだから、熱とかあまり心配はしていないけれど、体力が落ちているので用心しながら行く。
714Xのおかげで、普通に暮らしている。
たぶん、714Xがなかったら、夏を越せなかったかもしれない。
ヨガの先生の旦那さんは胆管がんの手術を受け、抗がん剤をずっとやりながら3年間、頑張られた。
「8月いっぱいだと思う。」とヨガの先生がおっしゃっていたから、もう亡くなられたのではないかと思う。
涼しくなったら、岩盤浴を始めよう。
10月9日の日記から
昨日、宮古島から帰ってきた。
楽しい旅行だったけれど、パパは体力を目いっぱい使って、疲れ果てている感じ。
健康な人でも、宮古島往復はたいへん体力を使うと思う。
もう、無理はしない。
二人で、新城海岸(あらぐすくかいがん)でシュノーケリングをした。
二人で、熱帯魚を見ながら手をつないで海を泳いだ。
人生、最高の思い出だと思う。
疲れて食欲がなかったのが気がかり。
ちょっと責めてしまった。
ごめんね。
美味しいものを作って、好きな分を食べてもらう。
無理は言わない。
体力は元気なころのように戻ってはこないけれど、今ある力で目いっぱい生きる。
体力が戻るように、おいしいものを作ろう。
もう、無理はしない。
次の目標はJRで行く「由布院」
寒くなったら、温泉で温まろう。
まとめ
少しずつ、少しずつ、体力が失われていきました。
でも、二人で普通に暮らせていたので、ありがたかったです。
ガンが分かってから10ヵ月が過ぎていましたが、元気でした。