主人の仕事の関係で、大阪に20年、東京に10年住みました。
いよいよ定年になり、ふるさとの福岡へ帰ることに。
住めば都と言いますが、東京は都ではありませんでした。
人の多さと目まぐるしい環境に少し疲れていたので、福岡へ帰ることが決まりホッとしましたね。
東京では、それなりにあちらこちらの観光地を見て回り、楽しみました。
東京を拠点に足を延ばして温泉旅行です。
富士山は数回見に行きましたが、5合目まで登ったことがありませんでした。
富士急ハイランドで遊んで帰るという、日帰りコースでしたから。
冬に行ったときは2合目で道が封鎖されていましたし。
それで、最後に富士山に登ろうと旅行の計画を立てました。
忍野八海の駐車場は無料
私の会社に写真が趣味の方がいらっしゃいました。
きれいな富士の写真を見せていただいたのですが、その中に忍野八海の写真がありました。
九州に生まれ育ったので、実は忍野八海を知りませんでした。
コレなんですか?と尋ねたら、忍野八海だと教えてもらいました。
それは、忍野八海にある水車です。
写真撮影用に作られたのか、ちょうど富士山をバックに取ると、風情のある水車が背景に写ります。
忍野八海に対する資料はそれだけだったので、そんなに忍野八海に期待をしていなかったんです。
調べると、駐車場は無料だし、富士山に登る前にちょっと寄っていこうよ、くらいの感じでした。
忍野八海の湧水に感動!
とにかく、忍野八海の湧水はきれいでした。
水に感動したのは初めて。
忍野八海は平成25年6月に世界遺産に登録されました。
住所は山梨県南都留郡忍野村
忍野村!
なんと、村なんですね。
その昔、忍野湖は富士山の噴火活動を何度も経て、徐々に富士 裾野と御坂山系との狭間を水触、掘削排水され長い期間の後、ついに湖は涸れたそうです。
しかし。富士山の伏流水に水源を発する湧水池がいくつか残りました。
その代表的な湧水池が「忍野八海」だそうです。
湧水は富士山に降り積もる雪が解け、地下の不透水層という溶岩の間で数十年の歳月をかけてろ過されたもの。
きれいなはずですね。
忍野八海の湧水池は水が湧き続け、水底を覗くと底まで透明でした。
水草がきれいで、美しさが増します。
しかし、残念なことに私たちが訪ねてから数年後、忍野八海が外国人に大人気になり、ものすごく観光客が増えたそうです。
そういえば、私たちが忍野八海に行ったときも中国の観光客の方がたくさんいましたね。
福岡に帰ってきてから見たテレビのニュースで、外国人観光客がルールを守らなくて困っていると嘆いている忍野八海の様子が映りました。
湧水池にお金を投げ入れないでと、確かに立て看板がありました。
それを読めないのか、お金を投げ入れる外国人観光客が後をたたないのだとか。
忍野八海の方が、困っておられました。
水草も少なくなっていると、湧水池の水草の様子がテレビで流れました。
確かに、水草が激減していて驚きました。
あんなにきれいだった水草がずいぶんと減って、残念なことになっていたんです。
今はコロナ問題で、きっと忍野八海の観光地も人が少なくなっているでしょう。
外国人観光客もいないし、もしかしたら水草が復活するかも、ですね。
富士山は快晴!
私たちが富士山の五合目を目指した日は雲一つない快晴の日でした。
かつて、富士山を目指して大阪からきた時、大雨でどこに富士山があるのかわからないという、残念な旅をしたことがあります。
なので、快晴の富士山には感動しました。
途中、芦ノ湖がきれいに見えました。
雲がないので、富士山からの眺めが美しかったです。
車で登るので、五合目までは楽々行けます。
息子は、歩いて頂上まで登ったらしいです。
しんどかったと言っていました。
大昔、修学旅行で訪れた五合目と印象が変わっていました。
たしか、バスを降りたら砂利でした。
半世紀も前の富士山五合目は、道が砂利だったんです。
今は、きれいに舗装されていて、砂利などありません。
主人に、昔は砂利道だったと思い出話をしながら、赤茶けた富士山を見て休憩です。
道は変わっていたけど、赤茶けた富士山は何一つ変わっていませんでしたね。
この後、伊豆を目指して日が落ちかかった富士山をあとにしました。
まとめ
富士山は日本人の心ですね。
何度見ても、感動します。
遠い九州に住み、もう富士山を見ることはないでしょうね。
でも、先日熊本の阿蘇山に行きました。
また、阿蘇の思い出の日記を書きますね。