主人がガンになり、手術はできないと言われて1年10か月、二人で懸命に生きてきました。
そして、病気が分かってから、いろいろな本を読みあさりました。
その中で、主人を失ってからの自分がどうなるのか不安で、ネットで検索して見つけたのが坂口幸弘先生の「喪失学」です。
一見、難しそうな本ですが、読んでみると意外にわかりやすくて、自分が置かれている状況がよくわかりました。
「喪失のある人生は必ずしも不幸ではない」
本の帯に書かれていたこの言葉に感銘を受けました。
大切な人を失って悲しみに暮れる日々は確かに絶望的です。
でも、悲しみが大きいということは、それだけ、そこに愛があったからなんです。
仮面夫婦や憎みあっている夫婦には、大きな喪失感はないのかもしれません。
主人が亡くなり悲嘆にくれましたが、私は幸せだったんだとあらためて思い、今は心から主人に感謝しています。
喪失学の本を読みました…
「ロス後」をどう生きるか?
坂口幸弘さんとは・・・
1973年大阪府に生まれる。大阪大学大学院人間科学研究科修了。
専門は死生学、悲嘆学。
死別後の悲嘆とグリーフケアをテーマに、主に心理学的な観点から研究・教育に携わる。
主人の闘病中、やがてやってくる別れの日を考えて、いろいろな本を読みましたが、特に心に残ったのがこの本でした。
- パートナーロス
- 母ロス
- 父ロス
- ペットロス
ロス(loss)とは喪失
人生の歩みの中で、私たちはさまざまなものを失いながら生きている。
この世は無常であり、命あるものは必ず滅び、会った者とはいずれは分かれる運命にあるというのが定めである。
喪失はできれば避けたい不幸な出来事であるが、悲痛な喪失を体験するということは、自分にとって心から大切と思える「何か」がそこに存在したことを意味している。
大切な「何か」を持ち得たことは揺るぎない事実であり、そのことは人生の大きな財産であるといえる。
喪失自体は不幸な出来事ではあるけれども、喪失のある人生が必ずしも不幸であるわけではない。
失うことを見据えて生きる
日々の生活の中で、人との出会いや財産など「何か」を多く獲得することが、人生を豊かにすると信じているようにみえる。
したがって、大切な何かを失うことは人生にとってマイナスに捉えられがちである。
しかし、現実には、人生において喪失はつきものであり、喪失を経験しながら誰しも今を生きている。
何かを得ることは重要な目標ではあるが、いかに失うかも生きていくうえでの大きな課題である。
大切なものを失った経験を通して、人は成長できるともいえる。
失ってから後悔しないためには、失うことを忌避するのではなく、失うということを見据えて生きることが大切である。
年齢を重ねるにつれ、喪失の経験は蓄積され、それを礎に先の人生を歩んでいく。
特に大きな喪失体験は、現在の自分の生き方に深く影響を与えることであろう。
過去の喪失を糧にいかに生き、これからの喪失にどのように向き合うかが私たち一人ひとりに問われている。
喪失学 目次
第1章 喪失とは何か・・・私たちは何を失うのか・公認されない悲嘆
第2章 喪失がもたらす影響・・・誰もが経験する悲嘆・悲嘆とうつ病の違い
第3章 喪失と向き合うために必要なこと・・・落ち込むのは当然・自分を許す
第4章 「そのあと」をどう生きるか?・・・「立ち直る」ことはできるか?
第5章 喪失に備える・・・なぜ、失って初めて気づくのか?
第6章 自分の喪失を振り返る・・・未完了の仕事
喪失の体験を通じて、生かされていることへの感謝や、人とのつながりの大切さを強く感じさせられることもある。
失うことのつらさを知る人は、今あるものの大切さをしみじみと感じられる人でもある。
重大な喪失を経験したからといって、その人の人生が不幸であるわけではない。
自分でしか見つけられない、自分なりの幸せがきっとあるはずである。
まとめ
この本は、主人が存命中に読みました。
喪失に備える余裕はありませんでしたが、自分がどういう状況に置かれているのかを知ることができました。
そして、喪失や悲嘆という言葉を深く考えるきっかけになりました。