無事にお正月が迎えられてよかったです。
1月1日の日記には今年の抱負を書くのが、私の習わしです。
新年あけましておめでとうございます。
めでたく、生き抜きました。
まだまだ、二人で生きていく。
大晦日も、テレビで笑って過ごした。
観たい番組が多すぎて、ハシゴしながら。
二人で笑っていられて、幸せな年末年始でした。
骨転移の痛みはどんな感じ?
夫は714Xの注射のおかげで、平穏な日々を過ごせていました。
でも、病気が治っているわけではありません。
体の中で、ガンは静かに進行していきました。
手術も、抗がん剤も受けてないのですからね。
1月15日の日記から
腰やら肩やら、痛いところが増えてきたみたい。
(骨転移なのか)腰痛もやはりひどいときは辛いみたいだ。
そろそろ、近所のペインクリニックにお世話になるときが来たのかも。
日赤の受診は月末だから、その時に痛みのことを相談しよう。
現実を見て、一番いい方法を考えること。
とにかく、痛くないようにしてもらわないと。
今日は区役所に行って介護保険の相談をしてこよう。
医療用のベッドとか、電動の車いすとか借りられるだけでもいいし。
食事の量が7~6割くらいになっている。
腹八分目くらい食べてくれたらいいな。
食事がとれなくなるということは、生きていけなくなるということ。
頑張って食べてもらわないと。
でも、無理強いしても食べられないんだから、パパが頑張れるだけでいい。
抗がん剤をすれば、もしかしたらヨガの先生のご主人(胆管がん患者)みたいに3年生きられるかもしれない。
でも、抗がん剤は効かないって、肝臓内科先生がボソッと言っていた。
外科の主治医の先生は抗がん剤を当然するつもりで治療の話をされたけど、パパが抗がん剤はしないと言うと、小さな声で「私もそれがいいと思います。」と言われた。
パパの胆管がんは場所が悪くて、治せないがん。
まだ70歳だったから、もって長生きしてほしいと思った。
71歳になれたけど、72歳はくるだろうか。
ガンバレ、パパ。
パパのためならなんだってやるから。
パパが痛くないように、苦しまないように、最善を尽くさなければならない。
今年は正念場かもしれない。
桜は見られると萩原先生はおっしゃっていた。
オリンピックも見られると思う。
でも、少しでも痛みがなくなり、快適に過ごせるようにペインクリニックはいいと思う。
痛みのない体でオリンピックを一緒に見たい。
(この時はまだ、オリンピックの延期が決まっていませんでした)
1月21日の日記から
パパがときどき、暗い目をして天井を見つめているときがある。
体力がなくなってきて、寝てばかりで、不安になっているのかも。
私がいない間に、散歩に出たらしい。
寝てばかりじゃだめだと思ったって。
取り替えたら、また元気になってほしい。
骨が痛いというから、きっと骨転移していると思う。
痛みを止めて、普通に散歩できるようにしたい。
桜は見れるかもしれないけど、元のパパには戻れない。
二人で元気に暮らしていた時期はもうない。
残念だけど、私たちは晩年にさしかかっている。
お年寄りはたくさんいるけれど、なにかしらの病気やケガ、後遺症のある人もいるはず。
外に出ないからわからないだけ。
パパが幸せを感じる晩年を過ごさなきゃ。昼間もそばにいて、話をしよう。
楽しい孫の話をしたり、パパの昔話を聞こう。
残された時間を有意義に使わないと。
1月23日の日記から
パパは、毎日注射をして生きていくのが精いっぱいになってきた。
散歩(ウォーキング)に行くのも難しいかも。
私がいないときに、一人で散歩に行ったみたいだけどつらかったみたいで、思わず「無理をしないでね。」と言ってしまった。
あれ以来、散歩は行っていない。
寒いから、暖かくなってきたら二人で散歩を再開しよう。
再開できますように。
パパがいないことを考えると寂しくなるから、考えないようにしよう。
先のことなど考えないこと。
今を、楽しく生きなきゃならないのに。
身内に病人がいる家庭は、どこも辛い思いをしているんだろうね。
まとめ
癌の痛みはひどくてつらいと聞きます。
腰が痛いと言われると、骨転移を心配しました。
何の検査も受けていないので、ガンの転移さえわからなかったのです。
転移していることは本人が感じていたかもしれませんが、夫は何も言いませんでした。
ロキソニン1錠と湿布を貼るだけで済んでいたので、よかったです。