長崎の平戸に旅行したとき、海のきれいさに驚きました。
福岡から佐賀を抜け、長崎へ近づくほどに海の水が透明度を増します。
きれいな海は南の島だけじゃない!
長崎の島へ行くと海の水の透明度に驚かされます。
島で食べた海鮮丼が新鮮で、ネタが大きくて、安くて、大満足!
たまたま立ち寄った平戸ザビエル記念教会があまりに美しくて感動しました。
中にも入れます。
世界遺産になり、街がにぎわっているかもしれません。
私がみたのは、世界遺産に登録される前の静かな平戸です。
平戸ザビエル記念教会
福岡から長崎はさほど遠くありません。
気楽に行ける旅先です。
平戸へ行くことになり、ほとんど予備知識ゼロで出発しました。
今なら世界遺産に登録されて、観光客もずいぶんと増えているのではないでしょうか。
コロナ過がおさまれば、私たちもまた平戸へ行って、おいしい海鮮丼をまた食べたいと思っています。
地元でもらったパンフレットに「平戸ザビエル記念教会」が載っていました。
平戸って、昔はキリスト教で弾圧されたんだね、と今さらですが思い出しました。
平戸は長崎初のキリスト教伝来の地です。
宣教師フランシスコ・ザビエルが平戸で布教を始めたのは天文19年(1550年)だそうです。
丘の上に「平戸ザビエル記念教会」は建っていました。
とにかく、驚くほどきれいだったです。
昭和6年に建設されたそうですが、外観が柔らかいモスグリーンで、美しい教会です。
信者でなくても、中に入れました。
写真撮影は禁止と書いてあったので内部の写真はありませんが、窓にはステンドグラスが入っていて、きれい、荘厳、心が洗われる、木のぬくもりがある、という印象ですね。
映画の結婚式に出てくるような、外国の教会のイメージそのままです。
この教会で結婚式をあげられたら、ステキだろうなと思います。
潜伏キリシタンの歴史
日本では、明治政府により信教の自由が認められました。
豊臣秀吉によって弾圧されていた潜伏キリシタンの人々は、カトリックに復帰して、堂々と祈りをささげられる教会を立て始めたそうです。
隠れキリシタンは豊臣秀吉の時代だとばかり思っていましたが、平戸には今なお、隠れキリシタンと呼ばれる人たちは暮らしているそうです。
平戸の生月島では、今「かくれキリシタン」という、貴重な伝統文化が受け継がれています。
禁教時代に信仰を秘かに続けた人々を「潜伏キリシタン」、禁教が解かれた後も、それまでの信仰の仕方を継続した人々を「かくれキリシタン」と呼びます。
「かくれキリシタン」はあえて復活しないで、禁教時代の信仰スタイルをそのまま継続しているそうです。
現在、その信仰を守っているのはごく一部ですが、殉教地や墓地などの聖地は人々の手で今も大切に守られています。
春日(かすが)集落もそのひとつで、弾圧時代以降、かくれキリシタンが生活を営んできた集落です。
禁教令が解かれた後も、カトリックに復帰しないで、かくれキリシタン信仰を継承しています。
平戸島の春日集落は平戸大橋から車で30分です。
平戸大橋
平戸島から生月島へは生月大橋(いきつきおおはし)を渡って車で行けます。
生月島にあるカトリック山田教会は受難の歴史を伝える生月島のシンボル的存在です。
大航海時代にアジアに進出したポルトガル船は、1550年に平戸に到達しました。
その情報を得たフランシスコ・ザビエル一行は薩摩から平戸に移り、領主の許可を得て布教を始め、生月(いきつき)島を含む平戸一帯で信者は約5,000人に達したそうです。
生月大橋
まとめ
平戸はキリスト教布教の最初の地です。
今も、平戸の春日集落には16世紀の布教当時の、石碑や石祠(いしぼこら)などがあり、先祖から伝わる信仰を守り続けている人々が住んでおられるそうです。
キリスト教である遠藤周作氏の「沈黙」に、詳しい状況が書かれていました。
岡田准一主演で、映画化されましたね。