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軍艦島とはどんなところ?軍艦島クルーズをして昭和を回顧してみた!

軍艦島とは 旅行

軍艦島は2015年に世界遺産になりました。
それまでは、長崎の人しか知らないような小さな島です。
元々、軍艦島は端島と呼ばれていました。

日本の高度成長を支えた石炭産業が盛んなときに、あの小さな島の海底に炭鉱があったんです。
昭和初期に軍艦島で働いていた人々は炭鉱労働者です。
地中にもぐり、石炭を掘り、真っ黒になって働いていた人々が住んでいた島なんですね。

実は、私は筑豊で育ちました。
筑豊炭鉱は昭和40年代に閉山しましたが、それまで筑豊といえば炭鉱の町でした。
炭鉱で働く人々を実際に見てきたので、軍艦島で働いていた人々をとても身近に感じます。

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軍艦島とは?

軍艦島とは

義理のお父さんが長崎で仕事をしていたので、端島(羽島)の名前は聞いたことがあります。
軍艦島が世界文化遺産に登録されたときは懐かしかったです。

テレビに映る古い炭鉱の様子は子供の頃に見ていた世界によく似ていました。

軍艦島の歴史

軍艦島は日本の近代文化を支えました。
明治23年(1890年)から本格的に石炭の発掘が始まり、閉山になったのは1974年です。
大阪万博が1970年ですから、かなり長い間石炭が掘られていたことになります。

軍艦島には、1960年(昭和35年)に5,267人が住んでいたそうです。
写真を見るとわかりますが、あの小さな島に東京よりも高い人口密度で人々が暮らしていたんですね。
もう、道には人があふれそうなくらいいます。
建物と建物の間はとても狭く、島全体が家族のように仲良く暮らしていたそうです。

炭鉱が栄えていた時代には端島は経済的にとても豊かで、その時代の富の象徴であるテレビが、各家庭に普通にあったそうですから。

しかし、時代が石炭から石油へと変わっていくとともに、炭鉱は閉山になります。
筑豊炭鉱もずいぶんと長い間石炭を掘り続けていましたが、ちょうど同じような時期にどちらも閉山になりました。

端島炭鉱の閉山は1974年1月15日です。
そして、この年の4月20日には全ての住民が島から離れ、軍艦島は無人島となりました。

島の形が軍艦に似ていることから、軍艦島と呼ばれています。
炭鉱の島であり、戦争とは全く無縁です。

軍艦島へ行く方法・予約

軍艦島とは

軍艦島へ行くには、ツアーに申し込んで予約をしなければいけません。
クルーズ船で行くので、予約の空き状況を確認して、希望日をクリックします。

予約後はすぐに入金しなければいけません。
当時、大人2名で8,600円でした。

天候により、なかなか上陸はできません。
私たちが行った日は小雨で、かなり船が揺れました。
当然、上陸はムリ。

軍艦島とは

軍艦島とは

島のまわりをまわって、そのまま港へ引き返しました。
波で船が揺れるので、とにかく早く陸地へ上がりたい一心でしたね。
船酔いの方も数名おられました。

 

軍艦島とは

上陸できなかったので、軍艦島デジタルミュージアムの無料券がもらえました。
軍艦島の歴史がわかるミュージアムで、当時の人が住んでいたという部屋が再現されていて、おもしろかったです。
6畳くらいしかない家で、そこで一家全員が生活していたみたいです。
最新のテレビやミシンなど、生活が豊かだったことがわかるものが置かれていました。

軍艦島クルーズ当日

軍艦島とは

もちろん、船は満席です。
駐車場を探してウロウロしていたので、ギリギリに着き、通路側の席しか空いていませんでした。
窓側に座りたかったけど・・・
(早めに桟橋に行くことをおすすめします)

写真や動画を撮りましたが、通路側なので出来はイマイチ。
とにかく、船が揺れますから、その状態で立って撮影するのは難しいです。
デッキにも出られましたが、雨だし揺れているので断念。

天候が悪くて、かなり荒れた海でした。

船酔いの薬を準備していなかったので不安になりました。
乗船する前に、売店で酔い止めの「バンド」を2セット買いました。
薬局ではないので、薬が売ってないんです。

手首にバンドをはめて、ツボを押すという代物。
怪しいなぁと思いましたがしかたがありません。

しかし、船が大揺れするたびにツボを押しまくっていました。
主人は元々船が苦手なんですが、やはりツボを押しまくっていたらしいです。

バンドのおかげか無事に寄港できました。

悪天候で、結局上陸はできなかったのですが、上陸できない確率は高いみたいです。
5回挑戦して、5回ともダメだったという人がいるとお話がありました。
船は揺れるし、気分は最悪だし、二度めの挑戦はおそらくないでしょう。

軍艦コンシェルジュのお話から

軍艦島は本当は「端島(はしま)」といいます。
炭鉱の島でした。
海底を掘り進み、石炭を採って暮らしていた島です。

狭い島に、炭鉱で働くお父さんとその家族がひしめいて暮らしていました。
昭和30年~40年代当時、日本一の人口密度で、活気があり、お給料も高く、豊かな暮らしぶりだったといいます。

住居は6帖一間くらいで、高層住宅のエレベーターなしです。
(私は閉所恐怖症気味なので、狭い島はムリですね)

最高幹部の家はベランダ付きの木造家屋だったそうです。
全部、軍艦島コンシェルジュの方の受け売りですけど。

いつの時代も、お金持ちがいます。
私は子供の頃に筑豊に住んでいましたが、同じクラスに炭鉱の社長のお嬢さんがいました。
ちょっと、変わった子でしたけど。
やはり、大きな家にすんでいました。

島の人たちの生活が豊かだったことに、ホッとするものを感じます。
島の全家庭にテレビがあったそうですが、当時テレビの普及率はまだまだ低かった時代ですからね。

地中深く潜り、命を懸けて石炭を掘っていた人たちに敬意を表します。

軍艦島コンシェルジュさんのお話で一番興味を引いたのがトイレ事情です。
島には共同のトイレが数カ所あったそうです。
不便だったでしょうね。

みんなで使うので、そのあたりの海は栄養が豊富。
有機肥料を畑にまくようなものでしょうか。
魚が大量にいたらしいですよ。

まとめ

昭和の時代がなつかしかったです。
端島炭鉱も筑豊炭鉱が終わったときに、同じように終わっていました。
ほんの、50年くらい前のお話です。

 

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