坂の上の雲の名言|秋山真之の「本日天気晴朗ナレドモ波高シ」すごい!

坂の上の雲 名言 旅行

私は読書が趣味ですが、50代になるまで司馬遼太郎先生の本を読んだことがありませんでした。
友人同士の会話で、「坂の上の雲」の話が出て、秋山兄弟の存在を知りました。

元、海上自衛隊の男性が、一緒にいた友人の女性に「どんな本が好き?」と聞いていたときに、彼女が「坂の上の雲」が好きだと答えたんです。
海上自衛隊の彼は驚いて、「へ~、あの秋山兄弟の?すごいなぁ・・・」と言いました。

何がすごいんだろう??
「坂の上の雲」を読んだことがなく、会話に入っていけなかった私は早速「坂の上の雲」を読みました。

海上自衛隊の彼は、海上自衛隊だからこそ、秋山兄弟に心服していたんだと思います。
「坂の上の雲」は日本海海戦のお話でしたから。
ハマりました!
めちゃくちゃ面白かったです。

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坂の上の雲の名言

坂の上の雲 名言

坂の上の雲の名言はたくさんあります。
これは、主人公の秋山兄弟の弟である、秋山真之(あきやま さねゆき)さんの言葉ですね。

秋山真之さんの「本日天気晴朗ナレドモ波高シ」の名文は有名すぎます。
「敵艦見ユトノ警報ニ接シ 連合艦隊ハ直チニ出動 コレヲ撃滅セントス、
本日天気晴朗ナレドモ波高シ」
この電文はロシアの大艦隊を迎え撃つ前に打電されたものです。

大国ロシアを相手に小国日本が寄せ集めの軍艦で海戦を挑む直前の決意を示したものです。
つまり、兼ねて準備していた連合艦隊は予定どおり、故障艦も脱落艦もなく、直ちに出撃し敵を撃滅することを前文で伝えています。

実は、後半の天気の文章も海軍の現場の人にはいろいろな情報を伝えているんです。

「本日天気晴朗ナレドモ波高シ」

「本日は天気に恵まれ海上の見通しは非常に良い。砲撃戦に理想の天気である。」
「しかし、海上には高波が見られるので、魚雷艇などを使った細かな作戦を実行するには難がある。」
本日の戦いは砲撃で決着がつくだろう、という意味を含んでいます。

秋山真之さんが部下にこの電文を打電するように命令したとき、「本日天気晴朗ナレドモ波高シ」は最後に部下を呼び止めて、追加した文章だそうです。

秋山真之さんには文才があったんですね。
事実、故郷の松山では正岡子規の友人(親友)で、同じように文学の道に進みたかったのですが、経済的に許されず、兄と同じく軍人の道を選びました。

 

坂の上の雲 名言

正岡子規は夏目漱石とも親交が深かったので、秋山真之さんに夏目漱石を紹介しようとするのですが、秋山真之さんは断っています。
当時、軍人として生きていましたから。
本心は文学の道を進みたかったらしいです。
だから、電報の一文にも、その文才があふれ出てくるのでしょうね。

他にも、「勝って兜の緒を締めよ」という、有名が一文があります。
松山へ行き、秋山兄弟の生家を訪ねた時、展示されているものの中に、この一文が書かれたものがありました。

日本海海戦でロシアを破り、浮かれている日本に対して発せられた言葉です。
元々は戦国時代の誰かの言葉の引用らしいです。

司馬遼太郎さんの本を読んで、すっかり秋山兄弟のファンになりました。
確かに「坂の上の雲」はすごい本でした。

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日本海海戦で戦ったロシアの提督(ロジェストヴェンスキー)が乗っていた旗艦がスワロフ号でした。

偶然ですが、鹿児島の知覧でスワロフ号の旗を見つけました。
もう、ビックリして私一人が興奮していました。
あの秋山真之さんたちが戦った、ロシアのバルチック艦隊の旗艦であるスワロフ号の旗が、なぜだか知覧の知覧特攻平和会館に展示してあったんです。

坂の上の雲 名言

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あ~、坂の上の雲のファンの人に教えてあげたい!
バルチック艦隊の旗艦であるスワロフ号の旗が…残っていた!
坂の上の雲のファンなら、絶対に見たいはずです。

坂の上の雲ミュージアム

坂の上の雲 名言

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松山は「坂の上の雲」の主要登場人物の正岡子規、秋山好古、秋山真之が生まれ育った街です。

また坂の上の雲ミュージアムは秋山好古が騎兵を学んだフランス留学時の主である久松定謨(旧松山藩主久松家当主)の屋敷(晩翠荘…洋館)の隣に建てられています。

秋山兄弟と親交が深かった正岡子規が主役のミュージアムですが、私は秋山兄弟を堪能することができてよかったです。

坂の上の雲 名言

晩翠荘

秋山兄弟の生誕地には、騎馬隊を作った秋山好古(よしふる)さんの銅像と、弟秋山真之(さねゆき)さんの銅像がありました。

兄の秋山好古さんは、今でいう所のバタ臭い顔?
まるでハーフのような顔立ちの方です。
堀が深くて、ヨーロッパに留学していた頃も、本当に日本人ですかとよく言われたらしいです。
弟の真之さんもメチャ男前。
もう、ほとんどミーハー状態です。

お二人のお母さんは末っ子の真之さんを「淳や、淳や・・・」とたいそうかわいがられたそうです。
淳五郎が真之さんの幼名です。
ちなみに好古さんは「信三郎」さんです。

秋山兄弟が日本をロシアから守ってくれたと思っています。
長崎の対馬へ行ったとき、ロシアのバルチック艦隊の人々を救助した島の方々の話などがたくさん残っていました。

まとめ

司馬遼太郎先生の「坂の上の雲」を呼んで、すっかり秋山兄弟にかぶれました。

四国の松山旅行では、その秋山兄弟の生家を訪ねることができてよかったです。
長崎の対馬では、バルチック艦隊のロシア兵を助けた話を聞き、鹿児島の知覧では、バルチック艦隊の旗艦であるスワロフ号の旗を見ることができました。

秋山兄弟がいて、今の日本があると本気で思っています。

 

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